水の音する静寂の空間

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水の音する静寂の空間

ー川の流れが似合う場所・「生活に美を」の考え実践ー


 

                                     金出 ミチル(建築修復家)


盛夏になると、
前橋市の広瀬川沿いの遊歩道はわさわさと生い茂る欅(けやき)の木々に覆われる。
かつては生糸を運んだ水の音を聞きながら、
歩いてゆくと広瀬川美術館にたどり着く。
市街地は第二次世界大戦時に空襲を受けて焼け野原になったが、その中から蓮(はす)の花の
ように立ちあがったのが画家、近藤嘉男氏のアトリエと絵画教室であった。修復されて、1997年
に美術館として公開された。建物の最も古い部分である絵画教室は48年に建てられて以来「ラボ
ンヌ絵画教室」として、子供から大人までを教えていた場所であり、ここで3,000人以上の生徒た
ちが美術に触れた。部屋には絵の題材になると考えて世界中から集めてきた人形や民芸品が棚
いっぱいに飾られている。今でもまるで休日の昼間になると子供たちがお稽古(けいこ)ごとに絵の
具バッグをもって駆けってきそうなほど、
往時の空気が止まったままである。
川側が全面ガラス窓になっているため開放的な二階のアトリエは、企画展示室となっている。絵画
は壁面にのみかけられているので、その空間を感じることができる。
絵を見ても外を見ても良いように窓際には背もたれのないベンチがおかれている。優しい光に包ま
れて、
室内と屋外がまるで溶け合うようである。
隣の増築部の小さなアトリエにはテーブルと椅子(いす)が置かれ、休憩室として利用されている。
本棚の画集を手にとり、窓から通り、川や木々を見ながらくつろげる。ここで時間を過ごすために、
おとづれる常連客もいるそうだ。調度品や飾りであふれる階下の居間は生活造形実験室と名づけ
られ、
「生活の中に美を取り入れる事こそが芸術の基本である」との考えがふだんの暮らしでも実
践されていたことがうかがえる。
このようなひとつひとつに思い出の詰まった空間が良く手入れされ、美術館を訪れる客を迎える。
教室やアトリエは、大きなガラス壁で北側採光を得ている。建物の繊細さを演出するかなめとなっ
ているのが、
この窓の鉄製のサッシである。窓枠は戦後壊されることになった昭和初期築の建物
からもらってきてアトリエで流用したもので、今回の修理の際にもこれらを残そうとする強い意志に
よって、もとからの場所に保たれた。修理時にはもはや窓の開け閉めはできなくなっていたので、
これ以上変形が生じないように溶接して閉じられた。
これに対して正面の窓以外の外壁材の傷みは進んでいたので、すべて新しくされた。建物を保存
する時には、今まで受け継がれてきたもののできる限りを残したいと思うのだが、建物を印象づけ
る上でガラス窓の比重が大きいので、壁材が取り換えられていてもさして気にならない。
入り口の石には風雪をくぐり抜けてきた昔からの塀がそのまま部分的に残されており、建物の外
装もそのような状態であったのなら、古いものを残せなかったのもやむを得ない選択だったのだろ
う。二階の大きいアトリエの小屋組には最初から民家の廃材が使われ、今は使われていない貫の
穴や壁が取りついた跡が見られる。
モダンな建物との組み合わせが新鮮である。
となりの部屋の新しいアトリエの窓ははじめからアルミサッシであったが、あえてそのままにされた
。修復にあたっては、これから建物を守る人たちが建築家と関(かか)わって仕事を進めたために
建物にとってはなおさら優しい修復となった。
この建物は戦後の建物として初めての国の登録文化財となった。99年には建物の周囲との調和
とその維持管理の体制を評価され、まえばし都市景観賞を受賞した。夜になってガラス窓に橙(だ
いだい)色の明かりがともる姿はまるで灯篭(とうろう)にように川べりに浮かび上がる。
この水の音が聞こえてきそうなほどの静寂の空間を守りながら、広瀬川美術館をもっと広く活用す
るための
保存のかたちをみいだすことにより、この建物はますます息づいてくるだろう。

<会報・新聞記事より抜粋>